The Tribe

企画展A

展示

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トランゴクライミングチームの記録

トランゴクライミングチームの記録

1990年6月〜9月。パキスタンはカラコルム山脈、バルトロ氷河末端に位置する花崗岩尖塔群「トランゴタワーズ」を訪れたジャパントランゴ・クライミングチームの南裏健康は、ひときわ目立つ岩塔・ネームレスタワー(6239m)の東壁に単独で挑戦。一方で保科雅則、木本哲、笹倉孝昭、小坂昌弘の4人は、グレートトランゴ(6286m)の第2登に挑み25日間の登攀の末、ノルウェールートを完登はしたが時間切れで頂上を踏むことは叶わなかった。

グレートトランゴから下山し静養していたメンバーにネームレスタワーの新ルートを登頂した南裏から遭難の知らせが入る。頂上からパラグライダーによる下降時のアクシデントで宙吊りになり、身動きが取れなくなっていると言う。ヘリによる救出が不可能で、命が危険な南裏を保科と木本が英国ルートから救出に向かう。

本展では、ネームレスタワーとグレートトランゴの登攀や南裏の救出劇に関連する写真や、当時使用したクライミング 用品、タワーズ周辺の歴史をまとめた資料などを展示。

また、ストーリー毎に異なるゲストを招き、当時を振り返るトークイベントを4回に分けて開催する。

イベント

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トークイベント #04
「ネームレスタワーの救出劇」

保科雅則 x 南裏健康 x 笹倉孝昭

トランゴタワーズ4回目は、ネームレスタワー救出劇を紹介します。南裏健康はネームレスタワーを単独新ルートからの初登攀に成功した後、パラグライダー飛行による下降を試みますが、墜落して岩壁に宙吊りとなってしまいます。ヘリコプターによる救助が無理と判断された保科と木本は、14年前に登られたイギリスルートを第2登して南裏を救出します。墜落から生還まで9日間に及んだ模様をお伝えいたします。

[イベント概要]

日時|2024年02月13日(火)

19:00〜21:00

会場|THE TRIBE

定員|先着40名

参加費|無料

イベント

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トークイベント #03
「グレートトランゴ・ノルウェー・ルート」

保科雅則 x 笹倉孝昭 x 木本哲

トランゴタワーズの3回目は、グレートトランゴ北東壁(6239m)ノルウェー・ピラー第2登を紹介します。壁のスケール1300m、途中11ピッチのバリエーションを含む全41ピッチ・A4・5.12aの27日間に及んだ世界最大のビッグウォール・クライミングです。33年前の過酷な登攀の模様やメンバー各々の心中などを3人が振り返ります。

[イベント概要]

日時|2024年01月16日(火)

19:00〜21:00

会場|THE TRIBE

定員|先着40名

参加費|無料

イベント

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トークイベント #02
「ネームレスタワー新ルート」

保科雅則 x 南裏健康

トランゴタワーズの2回目は、南裏健康による新ルートからのネームレスタワー(6239m)東壁を単独で挑んだクライミングを紹介します。壁のスケール1000m、全27ピッチ、Ⅶ、A4、5.10、17日間は世界的にも評価された斬新なクライミングでした。計画の発想や着眼点、トレーニング方法、単独登攀のメンタリティーなど掘り下げて伝えていきます。

[イベント概要]

日時|2023年12月20日(水)

19:00〜21:00

会場|THE TRIBE

定員|先着40名

参加費|無料

イベント

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トークイベント #01
「グレートトランゴ、ネームレスタワー 、レスキューの全体像」

保科雅則 x 笹倉孝昭

1990年6月〜9月、トランゴクライミングチームの登攀活動と救助劇の全体像について、豊富な写真によるスライドショーを交えながら語っていきます。

[イベント概要]

日時|2023年11月29日(水)

19:30〜21:30

会場|THE TRIBE

定員|先着40名

参加費|無料

[笹倉孝昭]

プロフィール
1966年神戸市生まれ。神戸市在住。幼少期より生まれ育った六甲で登山に親しむ。中学生の時に母の薦めで読んだ「孤高の人」(新田次郎著)の主人公・加藤文太郎に感銘を受け、兵庫県立兵庫高校入学と同時に山岳部に所属。高校卒業後も六甲でのボルダリング、クライミング、歩荷トレーニングを継続し、国内の登山はもとより、オーストラリアのMtアラピリーズや英国スタニッジエッジでのトラッドクライミング、アメリカ合衆国ヨセミテ国立公園でのビッグウォールクライミング、カナダアルバータ州でのアイスクライミングなど幅広く活動する。

[南裏健康]

プロフィール
1957年 奈良県生駒町 南田原警察官駐在所において3人兄弟の次男として生を受ける。両親は奈良県宇陀地方にルーツを持つ。10歳までに5回の引っ越しを経験し、その後20歳まで生駒郡三郷町に定住。以降、長野県上田市6年、伊豆10年、現在、朝霧高原に14年間在住。 東京五輪の前後、小学1年生の頃、冬山遭難報道をテレビで視聴中、母親から「登山は金持ちのすること、遭難すれば破産してしまう」と諭され、さらに「一番怖いのは虜になってしまうことだ」と言われ、子供の私はまさに“虜になりたい”と思ってしまった。 1969年小学6年、転校先で外山哲也という、親が登山家の同級生と出会い、その影響で低山歩きから始め、将来はアルピニストになることを夢見る。少年漫画には興味を示さず、山岳書籍、山と渓谷、岳人、5万分の1地図に興奮する日々を送る。 中学時代は剣道部と登山部に所属。大峰・大台で活動、“顧問抜き子供だけ”でのテント泊登山も多々あった。それまで集めていた記念切手を売り、外山哲也と折半で9mmロープを買い、地下足袋にわらじ、縦走から沢登りへとより深く山を探るようになる。 またこの頃、親が借りてきた岡林信康のアルバムを聞き、ロックに目覚める。はっぴいえんどがバックバンドを務めていた頃である。「今日を超えて」「それで自由になったのかい」は私の座右の歌である。 高校時代はブリティッシュロックにはまり、山行回数は減ったが、海外では長髪のロックミュージシャンのような人々がヨセミテやヒマラヤで活躍しているのを知る。ラインホルト・メスナー、ダグ・スコット、ジム・ブリッドウェル、また七三に分けてはいるがイヴォン・ショイナード、角刈りのロイヤル・ロビンスらから多大な影響を受けることになった。

活動年譜

クライミング
1976年 京都岳人クラブ 入会
1979年カラコルム K7 チャラクサ 氷河偵察
1980年不動沢で ルート開拓を始める
1981年エルキャピタン「ノーズ」
カナダ ロータスフラワータワー
1982年佐久 不動沢 ルート開拓
1983年韓国インスボン
カラコルムマッシャブルム(7821m) アルパインスタイル登頂
長谷川事務所にてガイド活動
1984年名張の岩場
小川山イムジン河
1985年ヨセミテ・エルキャピタン 「メスカーリート」
ヨセミテ「クリムゾンクリンジ」
ジョシュアツリー
1986年柏木ルート開拓 スタート
1987年小川山 エクセレントパワー
1990年カラコルム トランゴタワー(6239m)単独新ルート「ステッペンウルフ」
1991年エルキャピタン 「シールド」「サウスシーズ」
アメリカンフォーク シティオブロック
1993年カナディアンロッキー「ウィーピングフォール」「スリップ ストリーム」
1994年マッキンリー
ヒンドゥクッシュ ディルゴルゾム(6778m)
1996年カナディアンロッキーアイスクライミング
ヨセミテ「ノーズ」
1998年ヨセミテ
1999年ヨセミテ「アストロマン」
オーストラリア アラピリーズ グランピアンズ
屋久島翁岳ルート開拓
2000年鷲頭円形劇場ルート開拓
瑞牆山ルート開拓「現人神」
2001年層雲峡 アイスクライミング
グランピアンズ「ティラニー」
2002年グランピアンズ「モンキーパズル」
アラスカ マッキンリー ルース氷河 マウントバリル コブラ ピラー
2003年孀婦岩新ルートから第2登
ガイド協会検定員
静岡国体山岳競技トレーニング指導
2004年甲斐駒ヶ岳 Aフランケ流星群 極楽とんぼ 冬期初登
瑞牆山ルート開拓 達磨バム
2005年インド バダミルート開拓
メキシコ エルポトレロチコ エルサルト
ハイシェラ インクレディブルハルク ポジティブ・バイブレーション サンスポットダイヒードラル
2006年鷲頭円形劇場ルート開拓
2007年瑞牆不動沢ルート開拓
ヨセミテ カナダ・スコーミッシュ
2008年瑞牆ルート開拓 骨肉の岩峰 末端壁上部
2009年ガイド協会クライミングインストラクター制度 作業部会
2011年ドロミテ岩場
2014年オーストラリア アラピリーズ・グランピアンズ
2016年桂林陽州岩場
2023年フランス アヌシー岩場
パラグライダー
1988年パラグライダーを始める 最初の機体はETV9連
1990年4月 剣岳からフライト
パキスタン・トランゴタワー登頂・下降(エルドカのニュージェネを使用)
1992年カナダ ブリティッシュコロンビア ゴールデン
1996年パラ活動を封印しクライミングに専念
2008年パラグライダーを再開
2009年パラグライダーレスキュー方法の考案・普及活動
2011年ヨーロッパ オーストリア イタリア・ドロミテ
2013年5月ダイラボウ→白根77kmクロカン
2014年1月オーストラリア・マニラ クロカン108km
2015年7月東北・北海道ツアー
2016年七曲~富士川クロカン
2017年5月山梨・小楢山~野辺山クロカン
6月中国 林州 西安藍田
2018年4月山梨・小楢山~佐久小海クロカン
5月岐阜~中央アルプス~伊那箕輪クロカン
2019年カザフスタン・キルギスタン ビバークフライト
2022年4月インド・ビル クロカン
2023年2月伊豆葛城~朝霧クロカン

[木本 哲]

プロフィール

1956年 大分県竹田市に生まれる
1976年埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動
1979年山学同志会に入会。本格的に岩登りと冬山登山を開始
1980年英国登山評議会(BMC)が主宰する日英岩登り交流会参加
谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ダイレクト冬期初登攀
1981年谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南陵フランケ冬期第2登
1982年ソ連ヤルタ国際岩登り競技会に参加
1983年谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁ディレッティシマ冬期初登
1984年ベネズエラのエンジェルフォール・左壁初登攀。この登攀はテレビ東京「驚異・失われた世界」で放送
1985年マッキンリー南壁アメリカンダイレクト(6,194m)登攀
エベレスト東南稜(8,848m)登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救助のため重度の凍傷を負い全両足指切断(植村直己物語撮影隊)
1986年ケニア山・ダイヤモンドクーロワール(5,199m)登攀
1989年韓国土旺城アイスクライミング
1990年グレートトランゴ北東ピラー・ノルウェールート(6,286m)第2登、頂上まで数ピッチで日没のため撤退
ネームレス・タワー英国ルート(6,239m/パキスタン)第2登、登頂直後に頂上付近で遭難した南裏健康を救出
1991年チベットのナムチャバルワ(未踏峰/7,782m)7,460mにて撤退(ナムチェバルワ合同登山隊1991)。途中、ナイプン峰(7,043m)に登頂。木本哲, 大西宏が雪崩に巻き込まれ、木本は自力生還を果たしたが大西は死亡。この登山はNHKスペシャル「未踏峰ナムチャバルワ」で放送
1992年チョ・オユー(8,201m/チベット)無酸素登頂
1998年チャンラ峰西峰(6,150m/ネパール)登頂
1999年ENSA(フランス国立スキー登山学校)ガイド研修
2000年ENSA(フランス国立スキー登山学校)ガイド研修、フランス高山ガイド同等資格取得
2003年ウォーカー・シタデル南東壁(1,350m/カナダ・バフィン島)残り300m地点でタイムリミットのため完登できず。この登攀はNHKスペシャル「極北の大岩壁」として放送
2004年パチュムハム(未踏峰/6,529m/チベット)初登頂
ギャンゾンカン南東壁(6,123m/チベット)初ルート開拓、第2登
2007年オルカ(未踏峰/グリーンランドミルネ島)初登攀(山野井泰史,山野井妙子,木本哲)
2011年マッキンリー登頂