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Big Wall John =ジョン・ミッデンドーフ来日講演

ジョン・ミッデンドーフ x 南裏健康 x 坂下直枝(通訳)

Big Wall Jon =ジョン・ミッデンドーフ来日講演

[イベント概要]

日時|2024年02月19日(月)

19:00〜21:00

会場|THE TRIBE

定員|先着40名

参加費|無料

[内容]

  • ・アメリカのビッグ・ウォールの歴史
  • ・A5のグレードについて
  • ・ビッグウォールギアの開発
  • ・グレートトランゴの新ルート登攀の模様「グラン・ボヤージュ (Ⅶ A4+ 5.10 WI4)」
  • ・南裏健康との対話

[ジョン・ミッデンドーフ]

略歴

  • ・1959年、ニューヨーク生まれ
  • ・1974年からクライマー&冒険家として活動
  • ・1983年、スタンフォード大学を優秀な成績で卒業し工学の学士号を取得
  • ・「A5」クライミングギアの創始者(1987年〜1997年)
  • ・多くの世界的なクライミング雑誌に執筆および掲載
  • ・ジョン・ロングとの共著『How to Rock Climb: Big Walls』を出版
  • ・1983~1986年、ヨセミテ・レスキューチームのヘッドメンバー
  • ・アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパの150以上のエリアでクライミング活動を行う
  • ・20以上のエリアでグレード5以上のアイスクライミング
  • ・5.12−までのオンサイト=フリークライミング
  • ・バフィン島(1986年)、パキスタン(1992年)、パタゴニア(1993年)、インド(1995年)の遠征
  • ・ヨセミテのエル・キャピタンを30回以上登攀(初登頂4回、単独登頂2回を含む)
  • ・世界中で75回以上のビッグウォール登攀(初登攀も多数)
  • ・米国南西部の砂漠の尖塔を35回以上の登攀 (多くは初登)
  • ・現在、ビッグウォール用ギア製品やD4ポータレッジを制作。オーストラリアのタスマニア在住

[南裏健康]

プロフィール
1957年 奈良県生駒町 南田原警察官駐在所において3人兄弟の次男として生を受ける。両親は奈良県宇陀地方にルーツを持つ。10歳までに5回の引っ越しを経験し、その後20歳まで生駒郡三郷町に定住。以降、長野県上田市6年、伊豆10年、現在、朝霧高原に14年間在住。 東京五輪の前後、小学1年生の頃、冬山遭難報道をテレビで視聴中、母親から「登山は金持ちのすること、遭難すれば破産してしまう」と諭され、さらに「一番怖いのは虜になってしまうことだ」と言われ、子供の私はまさに“虜になりたい”と思ってしまった。 1969年小学6年、転校先で外山哲也という、親が登山家の同級生と出会い、その影響で低山歩きから始め、将来はアルピニストになることを夢見る。少年漫画には興味を示さず、山岳書籍、山と渓谷、岳人、5万分の1地図に興奮する日々を送る。 中学時代は剣道部と登山部に所属。大峰・大台で活動、“顧問抜き子供だけ”でのテント泊登山も多々あった。それまで集めていた記念切手を売り、外山哲也と折半で9mmロープを買い、地下足袋にわらじ、縦走から沢登りへとより深く山を探るようになる。 またこの頃、親が借りてきた岡林信康のアルバムを聞き、ロックに目覚める。はっぴいえんどがバックバンドを務めていた頃である。「今日を超えて」「それで自由になったのかい」は私の座右の歌である。 高校時代はブリティッシュロックにはまり、山行回数は減ったが、海外では長髪のロックミュージシャンのような人々がヨセミテやヒマラヤで活躍しているのを知る。ラインホルト・メスナー、ダグ・スコット、ジム・ブリッドウェル、また七三に分けてはいるがイヴォン・ショイナード、角刈りのロイヤル・ロビンスらから多大な影響を受けることになった。

活動年譜

クライミング
1976年 京都岳人クラブ 入会
1979年カラコルム K7 チャラクサ 氷河偵察
1980年不動沢で ルート開拓を始める
1981年エルキャピタン「ノーズ」
カナダ ロータスフラワータワー
1982年佐久 不動沢 ルート開拓
1983年韓国インスボン
カラコルムマッシャブルム(7821m) アルパインスタイル登頂
長谷川事務所にてガイド活動
1984年名張の岩場
小川山イムジン河
1985年ヨセミテ・エルキャピタン 「メスカーリート」
ヨセミテ「クリムゾンクリンジ」
ジョシュアツリー
1986年柏木ルート開拓 スタート
1987年小川山 エクセレントパワー
1990年カラコルム トランゴタワー(6239m)単独新ルート「ステッペンウルフ」
1991年エルキャピタン 「シールド」「サウスシーズ」
アメリカンフォーク シティオブロック
1993年カナディアンロッキー「ウィーピングフォール」「スリップ ストリーム」
1994年マッキンリー
ヒンドゥクッシュ ディルゴルゾム(6778m)
1996年カナディアンロッキーアイスクライミング
ヨセミテ「ノーズ」
1998年ヨセミテ
1999年ヨセミテ「アストロマン」
オーストラリア アラピリーズ グランピアンズ
屋久島翁岳ルート開拓
2000年鷲頭円形劇場ルート開拓
瑞牆山ルート開拓「現人神」
2001年層雲峡 アイスクライミング
グランピアンズ「ティラニー」
2002年グランピアンズ「モンキーパズル」
アラスカ マッキンリー ルース氷河 マウントバリル コブラ ピラー
2003年孀婦岩新ルートから第2登
ガイド協会検定員
静岡国体山岳競技トレーニング指導
2004年甲斐駒ヶ岳 Aフランケ流星群 極楽とんぼ 冬期初登
瑞牆山ルート開拓 達磨バム
2005年インド バダミルート開拓
メキシコ エルポトレロチコ エルサルト
ハイシェラ インクレディブルハルク ポジティブ・バイブレーション サンスポットダイヒードラル
2006年鷲頭円形劇場ルート開拓
2007年瑞牆不動沢ルート開拓
ヨセミテ カナダ・スコーミッシュ
2008年瑞牆ルート開拓 骨肉の岩峰 末端壁上部
2009年ガイド協会クライミングインストラクター制度 作業部会
2011年ドロミテ岩場
2014年オーストラリア アラピリーズ・グランピアンズ
2016年桂林陽州岩場
2023年フランス アヌシー岩場
パラグライダー
1988年パラグライダーを始める 最初の機体はETV9連
1990年4月 剣岳からフライト
パキスタン・トランゴタワー登頂・下降(エルドカのニュージェネを使用)
1992年カナダ ブリティッシュコロンビア ゴールデン
1996年パラ活動を封印しクライミングに専念
2008年パラグライダーを再開
2009年パラグライダーレスキュー方法の考案・普及活動
2011年ヨーロッパ オーストリア イタリア・ドロミテ
2013年5月ダイラボウ→白根77kmクロカン
2014年1月オーストラリア・マニラ クロカン108km
2015年7月東北・北海道ツアー
2016年七曲~富士川クロカン
2017年5月山梨・小楢山~野辺山クロカン
6月中国 林州 西安藍田
2018年4月山梨・小楢山~佐久小海クロカン
5月岐阜~中央アルプス~伊那箕輪クロカン
2019年カザフスタン・キルギスタン ビバークフライト
2022年4月インド・ビル クロカン
2023年2月伊豆葛城~朝霧クロカン