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登攀者「近藤邦彦」とその時代

登攀者「近藤邦彦」とその時代

近藤邦彦は奥鐘山西壁をはじめとする数々の初登攀を成し遂げ、その活躍は多くのクライマーから羨望の的でした。そのエネルギッシュな登攀活動を振り返り、前半と後半の2回に分けて展示します。

前半では、初期の国内登攀から1973年にエベレスト登山隊への参加までを、当時の雑誌に掲載した記事や貴重な写真とともにご紹介。本展示のために行った、近藤氏への「焚き火小屋」でのインタビュー動画もご覧いただけます。

1960年代から1970年代は組織的登山から個人の先鋭的登攀への変遷を標榜したスーパーアルピニズムの時代。1945年生まれの「近藤邦彦」は超人的な身体能力と湧立つエネルギーで、岡山クライマースクラブの仲間とともに穂高岳、甲斐駒ヶ岳、奥鐘山西壁等で初登攀や連続登攀を行う。冬期岩壁100本以上という圧倒的な登攀数をこなし、その勢いを駆って1971年夏のワンシーズンでアルプス三大北壁の登頂にも成功する。

1973年はRCCⅡによるエベレスト登山隊に参加するが、未登の南西壁への挑戦は大規模遠征隊の間でのジレンマと不完全燃焼に終わってしまう。そして1976年心機一転、気の合った仲間とペルーアンデスに赴き、三つの山の岩壁を全て初登攀するという離れ技をやってのける。時代を先取りしたこのビッグウォール登攀は伝説として語り継がれた。

その後も王子ケ岳でのハイレベルなボルダリングと国内岩壁での初登攀や継続登攀を続け、1981年にインド・クン峰(7077m)西壁の初登、1985年にネパール・メラピーク西峰(6100m)西壁を初登する。1987年、ネパール・アンナプルナ2峰(7937m)高度差4000mの南壁をアルパインスタイルで登攀倶楽部京都の山本一夫と試みるが7500m地点で断念。これを機に第一線に区切りをつけガイド業に専念する。

そして、79歳のいまも登攀を主とする山岳ガイド活動を続ける一方、東南アジアの島々を巡っては釣りを楽しむ生活を送っている。岡山の自宅近くには、果樹栽培用ハウスを改築した「焚き火小屋」という快適な空間をつくり、そこには毎週末のように往年の仲間やガイドのお客さんが集う。

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